今日は、先日少年審判が終わった事件で、被害者の方のご両親にお詫びをしました。
その中で、被害者の方のご両親の声を直接お聞きすることで、詳細は書けませんが、事件までに、どんな思いや苦労をして子育てをされてきたのかが、より理解できました。そのような思いを聞かせて頂けることは、加害者側としても、自身の行為を改めて振り返る、大変貴重な契機となりました。自分自身、非常に気づかされることがおおかったです。
自分も一児の親となって、正直言って、世界の見え方が全く変わりました。
父親という立場で事件を見ることができるのは、非常にプラスだと思っています。やはり、子供を持つ前ではわからなかったことが色々わかる。
人間の社会っていうのの8割は、親の愛でできているんだなというのが最近思っていることです。何を馬鹿をと言われそうですが、僕はそう感じています。(あとの2割は、欲望とか何かです。)
話が変わりますが、僕は大学時代、ボート部に在籍していました。
ボートって、傍から見ると、ただ水の上をえっちらこっちら漕いでいるだけです。何が楽しいの?と言われます。実際、非常にきついスポーツです。体力も非常にきつくて、毎日5000カロリーの食事を食べても痩せてしまいます(体重維持には、日にもよるけれど、一日あたり5500~6000カロリーくらい必要)。
非常にきついけれど、素晴らしいスポーツだと思っています。
ボートのレースを見ると、非常に感動します。胸に迫るものがある。レースを見て、何が感動するかというと、皆が、大学時代4年間をかけて、一生懸命練習して、たった6分前後のレースのために注ぎ込んだ時間とエネルギーの結晶が、頑張っている選手の姿から見えてくるからなのです。
箱根駅伝とか、甲子園とかもそうだと思いますが、この社会で価値があるのは、あるいは神聖なのは、人がある物事に対して賭けてきた情熱や、思いや、エネルギーや、時間、金銭、などなど、そういったものが注がれているから価値があるのだと思います。尊いのだと思います。
そういう意味で、子供というのは、まさに価値の塊です。国の宝です。
多くの親が、子供の幸せを願い、そのために多大な(というか、ありとあらゆる)エネルギーを注いでいる。
1人1人の人間に、そういった思いが注がれているという事実。僕にとってはそれが、一人一人の人間を尊重せねばならない、大切にせねばならない大きな理由です。
(ところで、このような立論をすると、「では親の愛情を受けていない人間は価値がないのか?仮に愛情があったとしても、愛情を10注がれた子供と1000注がれた子供とでは価値が違うのか?」というちょっと意地悪な質問が来そうですが、そんなことはありません。)
事件を起こしてしまう人は、そのような自分の尊さや、あるいは他者の尊さを理解していない、気付いていないことが多いと思っています。そういうことに気付いてもらうのが、弁護士や付添人としての重要な役割だと思っています。