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刑事事件専門 弁護士中澤剛のblog

2014年5月12日

逮捕に強い東京の刑事事件専門弁護士中澤剛・・・悪い人をなぜ弁護するのか?その2

author:弁護士 中澤 剛

前回に続きまして、なぜ悪い人を弁護するのか!?

3つ目の理由は、大体の刑事事件は自白事件といって、大筋で犯行に争いがない事件が多いのです。
例えば、コンビニでおにぎりを盗んだとか、新聞を盗んだとか、覚せい剤を使ったとか、喧嘩で人を殴ったとか。
そういう自白事件も私は好きなのです。
 なぜ好きなのかと言ったら、色々理由はあるのですが、そこに、その人の人生が凝縮されてあらわれて、その場に弁護人という形で立ち会うことができるからだと思います。(本当は、それでその人が更生してくれれば本望なのですが、なかなか力及ばず、難しいことも多いです。)。また、私自身が、生きるのが苦しいとか、つらいと思ったことが多々あるのですが、そういう中でも、なんとかやはり前を向いて生きていきたい、生きていかねばという思いをもっています。そういう私にとって、罪を犯してどん底の中にある人が、再起してまた人生を歩んでくれたら、私にとって勇気づけられることですし、とてもうれしいなと思えるのです。少年事件などは特にそうでしょうか。

B’zというアーティストのblue sunshineという歌があるのですが、その中の歌詞で、このようなものがあります。
「誰もが 光と影の間をさまよい続けて 
 少しでも 明るい方へと手を伸ばして 涙流す」

自分自身、すごく共感する歌詞です。
生きることの哀しみを感じる詞です。

できれば、罪を犯してしまった人にも、再び光を捕まえてほしい。そのような願望が、刑事事件が好きな理由だと思います。

4つ目は、弁護しなくてはおかしなことになってしまうからです。
裁判は、今なお供述調書が重視されています。
供述調書というのは、被疑者の人がしゃべったという体裁になっていますが、完全な捜査官の作文なのです。
村木さんの事件でも、完全にそのことが判明しました。
村木さんの事件では、作成された多数の供述調書について、公判廷で皆が検事の誘導ないし脅しによって作成されたことを証言しました。
村木さんのときのような否認事件ではなく、自白事件でも、ほとんどが作文です。
そこでは、だいたい被疑者の人が実際以上に悪人に仕立てられてしまうのです。
取調官が、参考人や被疑者自身の供述を大げさにしたり、ニュアンスを微妙に変えたりして、被疑者に不利にその供述を歪曲することは日常茶飯事なのです。(だからこそ、取り調べの可視化も必要なのです)。
前も責任の箇所で書いたことがありますが、悪さを数値で表現するとして、例えば6悪い人は、6の分反省し、6に見合った刑罰を受けるべきでしょう。
しかし、6悪い人が、7悪い人、8悪い人へと実体以上に悪くゆがめられるという現実があるのです。
これは、0悪い人が5悪い人になる冤罪と同じく、やはり問題なのです。
例えばですが、女性に対する痴漢は、いうまでもなく悪い行為です。しかし、その行為が、例えば酔っぱらったうえでの行為だとします。同じように悪い行為です。言語道断です。ですが、酔っていないシラフのときの行為と、どちらがより悪いか、と言ったらどうでしょうか? 同じ悪い行為でも、どっちがより非難できるか、そこには違いが生じます。
また、同じ行為でも、それがIQが70の人によってなされたらどうでしょうか?
同じく悪い行為でも、実際以上に悪く評価されるのは、やはりおかしい。しかし、弁護人がいないと、実体以上に悪く評価される危険があるのです。そこに、弁護人の存在意義があると思います。
これは、どんな凶悪犯であっても同じです。むしろ、凶悪犯であればあるほど、弁護人の役割が必要です。
たしかに、500わるいかもしれません。でも、550悪いわけではないのなら、550で罰せられるのはおかしいと思います。
「どっちでも悪いことには変わりはない、どっちだろうが関係ない」とは思えません。
それは、例えば、窃盗犯人と殺人犯人では、どっちも悪いことに変わりはなくても、刑が同じであってはならないことと同じです。

特に、凶悪であればあるほど、社会を敵に回します。社会全員に非難される立場に立ちます。
しかし、そういう人であっても、その違法性および責任に見合った刑罰が課されるべきですし、それ以上の過大な刑が課されるのは不正義だと思います。

弁護士が、社会的に重大な事件の弁護人をすると、まるで悪魔の代理人かのような印象を持たれます。
しかし、そこには重大な誤解が含まれていると言わざるを得ません。
松本サリン事件のときもそうでしたが、一般の方、無実の方がある日突然犯人と間違われることもあります。そのようなとき、社会全体が犯人と決め付けたからといって、弁護する人がいなければどうなるでしょうか。
仮に悪いことをしたとしても、10悪いことをしたのに、検事や裁判所によって、15悪いと認定されそうになったとき、弁護士がいなければどうなるでしょうか。
刑事弁護人は、当然、被疑者や被告人の弁護を主眼として行っています。しかし、その結果として、反射的にではあれ、この社会に暮らす人たちすべての人の利益を守っているのだという自負があります。

当然、犯罪は憎むべきものですし、例えば凶悪犯罪での遺族の方々の気持ちは言葉では計り知れないものがあります。私も、同じ立場であったら、許せないという気持ちになるでしょう。
しかし、そのことは、被疑者や被告人がどういう扱われ方をしてもいいということを意味するものではないのです。「犯罪者の人権ばかり」というような批判がよくされます。しかし、犯罪者扱いされてもなお適正な手続きによらなければ処罰されないことは、公正な社会を実現するためには、必要不可欠なことだと思います。

ほかにも、あるのですが、おおむね以上でしょうか。
また、友人や先輩等とも議論して、考えてみたいです。

私にとって、最近は、刑事弁護はあまりにも当然のやりがいある仕事として積極的にやっていたので、刑事弁護をしていない友人からの質問(そして、悪い人を弁護しなきゃいけないのはつらいよね、という論調)にやや面食らい、改めて理由を考えてみたのでした。

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カテゴリー:刑事事件 comments(0) 11:25 PM 

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